昨日の日経新聞のコラムに いいこと書いてあった。
始めてお会いする人にとっては服装は 「無言の自己紹介状」
うーん。その通りだと思った。
「初対面の人に会う場面って 日常では そんなにないけど??」
と思う方もいらっしゃるかもしれない。
いやいや、家の一歩外を歩き、うろついてカフェに入るだけでも
電車に乗る時でも
洒落た店でショッピングするときでも
ヤマダ電機をうろうろするときでも
松屋の牛丼食べる時も
無人島でない限り、毎日、初対面の人に膨大な数、会っている。
自分が気づいていないだけで
人は瞬時に着ている服装や髪形、
つけているアクセサリーや持っているかばんなどで判断されている。
あーおそろしや。
全員が狩りでしとめたマンモスの毛皮(?)を着ていた
はじめ人間ギャートルズ(←古すぎて読者様 誰もわからないかも・・・汗)
のような原始人の時代ならいざ知らず、
現在の日本では着ている服装は
物凄くその人がどんな人か物語ってしまう。
話ずれる。
「着ているものや持っている物で
自分を良く見せようとすることに、全く興味ないんだよね。
そもそも物質的なことに 全く価値を感じないからさ。」
といった男性がいた。
何だか すごいなと思った。
「じゃあ、何に興味あるんですか?」と聞いたら
「この世界の真実はどこにあるのか、そのことにしか興味ないんですよ」
と答えた。
・・・・・
宗教の勧誘にあいそうだったので、
その人とは距離を置くことにした。(笑) (後日、フツーのいい人だとわかったけど)
話戻る。
10代、20代ならば そんなに着ている服装で
どういう人かを探られたり、
印象が変わることはあまりないように思う。
でも社会人になって働き始めたり、
家庭を運営するようになると
上物、うわべ、外観、体の上に乗っかっている物、(アクセサリーとか時計とか)
というものは、望むと望まざるにかかわらず、
(職業、社会的立場はもちろんのこと)
その人の考えている事とか、性格とか、
好みとか精神状態とか志などがどうしても如実に出てしまう。
「人をみかけで判断しちゃだめよ。中身が大切よ。」
ということを幼いころから
母親に言われ続けて育った私は、実はつい最近まで、
洋服をあれこれ着たり、アクセサリーをしたり、
化粧をしたりすることに時間とお金を費やすことに、
ちょっと心のどこかで罪悪感というと大げさだが、
そんな罪の意識があった。
中身を磨くべきで、外身を整えることにウツツを抜かすべきではない、と。
でも 50代になって 考えは変わった。
着ている服を整えることで気持ちがシャキッとするならば、
着ている服を楽しく悩むことで毎日ハッピーならば
新しい口紅を買うことで幸せになるならば
罪の意識なんて捨てて もっと肯定感をもって
オシャレをすればいいのではないかと。
パリやミラノやニューヨークなど
海外の高齢のマダムのファッションスナップなど見ていると
本当に楽しそうに着飾っていらっしゃる。
それは決して 「うわべだけを着飾って中身がおろそかになっている」
感じなどみじんもない。
豊かなライフスタイル、健やかな精神状態、
美しい色や形を身に着けようとする、マダム一人一人の個性とゆとりを感じる。
「服装は 無言の自己紹介状。」
その考えを常にもって、
特に仕事の場面や子ども行事などは 人様をギョッとさせる恰好は慎もう。
けれど 自由な日は うんと 好きなカッコウして楽しもう!
★おまけ
「人をみかけで判断しちゃだめよ。中身が大切よ。」
という母の言葉は、どうやら 異性選びにおいての忠告だったらしい。
私も 娘や息子に、まるっきり同じこと言っていることに最近気づいた・・・(笑)