甘口か辛口か それが問題だ
私は 本当は
パンツ+シャツといった辛口なファッションが
似合うと自分でもわかっている。
オットも娘も まわりもそういう。
「中身、男だろお前」、と長年一緒に仕事している仲間は笑いながらそういう。
きーっつ 失礼な!(笑)
さらに 骨格がわりとしっかりしていて
肩幅もあるので、
シャキッつとした格好の方が似合うという事らしいのだ。
でも
でも
何故か 微糖 なものに惹かれる。
「カワイイ」 を 捨てきれないでおり、
時々
どーしちゃったのからしら、この人?
ってな スイートな服を着ている日が登場する。
読者様もお気付きの通り。
でも何度も書いている通り、
50代になって
シンプルすぎる服は本当にただの地味になる。
後ろからみると 男か女かわかない、という状態になってしまう。
そのうち
おばあちゃんか おじいちゃんか 真正面から見てもわからない
という恐怖の状態になってしまうのでは??
と今からおののいているのである。
お色気むんむんの魔女になりたくない
と50歳になったときに 強く思った。
でも
オッサンみたいなオバサンにも絶対になりたくない とも思った。
その狭間のいい塩梅の通路を探り、
日々苦しんでいるわけだが
ちゃんと 自分を律し、気を付けていないと
うっかり
ラブリースイートな服を着ている 変な中年女、になってしまう。
スイートはダメだ 辛口にならなければ。
辛口の方が実はとても女らしさが出るはずなのだ。
そう自分に戒め 言い聞かせている私なのだ。
大人可愛いって何だろう?
私はいろんなファッション記事や
雑誌やサイトを拝見するときに、
最近 物凄く違和感を感じる言葉がある。
「大人可愛い服」
この ”大人可愛い”って いう 形容詞、、これ何だろう?
以下の2つの切り口で考えてみた。
①大人は本来可愛くないという前提
幼児や子どもはいるだけで可愛い。
若いお嬢さんも 笑顔でいるだけで 可愛い。
でも ある程度の年齢になると
残念ながら、何もしないで 可愛い、というのは かなり難しくなる、
という大前提の上での 表現。
② 大人っぽくなりたい、でも可愛さも失いたくない
これは多分、
20代後半から30代ぐらいにかけての女性の
あるあるお悩みだろうと思う。
もう ぶりっこ(←死語) して「可愛い」をアピールするのは卒業したい。
大人の女性としての道を歩み始めたい。
大人っぽいね、と言われたい。
でも まだまだ 可愛いね、 とも言われたい。
「大人っぽい」を目指したが最後、ババ臭くなるのではないか・・恐怖。
でも いつまで 「可愛い」を追いかければいいんだろう?
そうこうしているうちに「イタイ女」になっているんじゃなかろうか・・・
という 彼女らの苦しいお悩みと逡巡。可哀そうに(笑)
大人っぽいけど可愛い、
可愛いのに大人っぽい、
この相反する2つの要素を
どちらも手放すことなく
両方がっつり 手中に収め続けたい・・・・・
という 強欲な女の欲望 を表した言葉なのだと思う。
大人っぽいと 可愛いは 両立しない、
だからこそ 大人っぽい&可愛い
を両方併せ持つことは最強である。。。ということか。
何に対して最強なのか?それは わからないけれど。(笑)
可愛いを目指した瞬間 可愛さは失われる
男はシビアである。
周りにいる古い男性の友人や
仕事仲間の男性の意見を総合すると
女性の
「こいつ、自分を可愛くみせようとしてんな」
ということに至極敏感である。
そんなこと バレバレなのである。
「くねくねしてて 気持ち悪い」
とばっさり切られるのがオチである。
セクシーに見せようと思ってわざとらしく気取っているイケメンほど
まったくセクシーさを感じない、
と女性が男性に手厳しく思うのと同じ原理である。
赤ちゃんは可愛い。
それは 赤ちゃんが
「私って僕って可愛いでしょう?」と思っていないからこそ
可愛いのだ。
ペットや動物が可愛いのも然り。
よって大人の女が
「可愛いって思われたい」
「可愛いって褒められたい」
という魂胆がどこかに発生した瞬間、
それは全く可愛くなくなるのではないか?と思う。
人が人を可愛いと思う時は?
私が周りの同年代や やや年上の女性を見ていて
「この人 メチャクチャ 可愛い・・」と思う時がある。
それは、間違いなく その人が
半端なく何かに必死に取り組んでいて
ひたすら ひたすら 仕事やら趣味やらに熱中していている時に
ふと見せる 魂の輝き が見え隠れするとき。
である。
間違っても ピンクのグロスで唇をてらてらにしたり
全身フリフリ花柄の服を着たり
おリボンを巻髪につけているときではない。
私はぼんやり思った。
もう「可愛い」を全く目指さなくていいんじゃないだろうか。
「可愛さ」という通信簿の評価項目を
ホワイトで 塗り塗り 消してしまっていいのではないだろうか?
それに怯えながら
縛られながら
翻弄されながら 生きるのは もういい加減きっぱり卒業しよう。
自分のやるべきこと、
好きなことにただひたすら取り組んでいれば
必然的に大人なのにカワイイ人になると思う。
ピンクを着なくとも 若作りな服を着なくとも
リボンの付いた バルーン袖の盛り袖ブラウスを着なくとも。
私が仕事上出会う年上の女性で
可愛い、と感じる人は間違いなく
自分をカワイクみせよう、というフィルターの鎧を ストンとおろした人だ。
そして それはもう女性らしさとか可愛らしさとか
そういったものを超越した
ヒトとしての魅力に溢れた女性になっている場合だ。
そういう人の事を 真に
大人可愛い
というべきなんじゃなかろうか?
若いファッション雑誌やサイトの誌面上に画面上で
易々と安直に使われている
この 大人可愛い という単語。
実はもっと奥深いものであるはずだ、という思いが
見ていて違和感を感じるモトになっているのだ。
「大人の可愛さ」というものは、
誰かに大人可愛いと思ってもらいたい、
という浅はかな煩悩からきっぱり解脱するときに
初めて得られるものなのだ。きっと。
クネクネしないで
堂々と前を向いて足早に歩いていこう。
可愛く見られるか否か? を考えている暇は 多忙な女の人生にはないのだ。