私服の制服化。
という言葉をミニマリストの方のブログで知った。
ミニマリストとは 最小限のモノで暮らす人のこと。またはその思想。
その方がお書きになった書籍。
私は 実は こんなに 物欲オシャレ欲にまみれた女 でありながら、
心のどこかで
「最小限の服で すっきりと生きていきたい。。。」
と願っている自分がいて
よって あまりに少ないワードローブをお持ちの
ミニマリストの方のご自宅の
お写真など拝見すると、
もう
うらやましくって うらやましくって
しょうがないのである。
話は過去にさかのぼる。
従妹が婚約者と一緒に住んでいた
マンションに遊びに行ったことがあった。
私が21歳のころ、従妹が28歳の時だろうか。
従妹はオシャレが大好きで
洋服をたくさん持っていたが、
共有よ、
という寝室のクローゼットの中に
婚約者の彼のワードロープも収納されており、
これだけ??? という 少なさだった。
グレーのセーター、白いシャツ、白いTシャツ、パンツ(黒かグレー)、 黒い靴。
冠婚葬祭用のスーツ以外は
みごとにこれらのアイテムしかもっていなかった。
本当にそれしかなかった。
デニムとかまったくなく。
それらが、整然と整えパイプハンガーにかかっているその光景は
当時の私に衝撃を与えた。
なんてすっきりしているんだろう?って。
婚約者の彼は背も高くて、
たとえ毎日上記のような服しか着ていなくとも
充分いつみても かっちょ良かった。
数回会ったが、当然毎回同じ服だった。
夏にあっても真冬に会っても
Tシャツがセーターに変わるだけであとは同じだった。
あれば今思えば 昭和60年代のミニマリストだったのかもしれない。
もちろん、古くなったら新しく買い、古いものを捨てる。
そうして入れ替えは行っていたのだろうが。
私は私服の制服化、
という言葉をしたとき、真っ先にこの従妹の彼を思い出したのである。
(余談だが この彼とは従妹は結婚せず別れた。 次から次へと新しい服を買ってくる従妹と
彼が同じ屋根の下に暮らすのは無理があったのに違いない。。。いや他の理由か(笑))
私は妄想する。
私の場合、私服の制服化、ということを試みることは出来るだろうか?
①白い麻のシャツ + タイトスカート + ハイヒールパンプス
②ざっくり紺のニット + デニム + スニーカー。
③黒いノースリーブワンピース + カーディガン + フラットシューズ。
この3つに絞った。
これをライフスタイルに合わせて行事に合わせて
毎日毎日繰り返す。 何も考えずに毎朝着る。
だって制服なのだから。
迷わずに。シンプルに。
クローゼットの中がどんなにスカスカになるだろう?
そう考えて ウキウキした。
が、
さらに妄想した。
この3パターンを毎日着ることに
いつまで耐え抜くこと、出来るだろう??
もう2サイクル目から 我慢修行になることは目に見えている。
だって 飽きるに決まっているではないか・・・・・・・・
私は自分が情けなくなる。
ミニまリストになんかなれないのだ。
所詮。
物欲にまみれているのだから。
夫が言う。
お前の服の多さには辟易しているけれど、
そんなこと今更気にしなくていい、と。
お前が死んだら 全部 捨てるから。 それで解決だから。と。
な、、、なんという、、、、なんんという、、、、私はうれしかった。
何故だからわかないが うれしかった。
夫が私より長生きしようとしていることはどうでもいい。
後妻さんでも どーぞどーぞもらえばよい。
そうじゃなくて、
人は生きている間は服とともに生き、
寿命を全うしたら 服も役目を終えればよいのだ。
それが大量にあっても
ごっそり全部 処分すればよいのだ。
単純なことである。
それを言ってくれたおかげで
服を最小限にしなくてはいけない、という呪縛から解放され
物凄く気持ちが楽になったのだ。
そうだよねえ
そうだよねえ
毎日 とっかえひっかえ 新しい組み合わせ 新しい服を着る時のあの キラキラ感。
今日イケテルっっと思った日に案の定 人からファッションを褒められるあの幸せ感。
同じスカートでも TOPSに合わせるものを 変える楽しさ。
如何に同じように見えないかを 工夫するのがオシャレの楽しさなのであり
ファッションが趣味か生きがいの人にとって(←私のこと)
無理して私服を制服化しなくてもいいんじゃないか、
という気になったのである。
毎日同じ服を着たほうが 気持ちが安定する人もいる。
毎日同じ服だと 塞いだ気持ちになる女もいる。(←私のこと)
どれがいいかではなく、どれを自分が選ぶか、である。
そんな思考のぐるぐる。
さ、 夫のお許しも出たことだし、 (?)
今年の秋冬もじゃんじゃん 商品を我が家に仕入れたいと思います!!