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ユニクロをもう買わない? その理由とは?

彼女がユニクロを買わない理由

先日、オシャレ好きな女友達とお茶をしていたら、

 

「私、もうユニクロで服買わないと思う・・・」という。

 

彼女はいつも、身なりの綺麗な女性だが、家の近所にあるユニクロで、なんだかんだと よく服を買っていたという。

 

金額ももちろん安いし、その割にはニットとか質がいいし、シンプルで着回しも出来るし、サイズも豊富だし、機能性も考えてあるし・・・

 

逆にユニクロを着こなしてマスっ!てオシャレな感じだし。誰もが認める、日本が世界に誇る立派なアパレルブランドだし。

 

でも、と 彼女はいう。

「ユニクロの服は

普段着にはなるけど
日常着にはならない
って気づいたから」

普段着と日常着。 この違い。

 

私はなんとなく、彼女の言いたいことがわかった。今の日本では、普段着と日常着がごちゃませになっている。

 

丸の内とか霞が関とか新宿のオフィス街を朝9:00前に歩くと、キリリとした洋服をお召になったワーキングウーマンが颯爽と足早に歩いているし、

 

青山のランチ5000円のレストランに行けばきらびやかに着飾ったマダム達の軍団に合う。

 

土日の銀座を歩けば、渾身の力でオシャレし、彼とデートしているカワユイお嬢さん達に多数遭遇する。

 

だが、特別な用事もなく、仕事もない、普通の日

 

ちょっとご近所のカフェでお茶したり、一人で本屋に行ったり 映画を見て過ごしたり、家族と近場でまったり過ごしたり。

 

そんな時、人は 何を着ているのだろう?

 

「50代の女はそんな時、
普段着でなく日常着を着るべきだ」

 

というのが 彼女の言い分なのである。

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日常に何を着ればいいのだろう?

最近気づいた。

 

50代の女というのは、

 

人と会う、という縛りがないと、本当に とことんだらしくなる。どこにも今日は出かけない、となるとまあヘアメイクもひどいし、服装も人様に見られたもんではない。

 

本人が良ければいい、という範疇を超えてこりゃ自分でもヒドイ、と思う時が私もよくある。(笑)

 

そんな時、着飾ってばっちり化粧するのは絶対嫌だし、肩が凝る服なんてまっぴら。

 

かといって だらしない格好はいや。
おしゃれ心は失いたくない。
自分で自分が惨めになるような恰好は悲しい。
ただシンプルに、気分よく過ごしたい。

 

そんな時、一体、 何を着たらいいいんだろう?

 

ユニクロのコーデは 「日常着」になる?

ご存知の通り、昔の日本には

 

ハレ VS ケ という考え方があった。

 

ハレとは?

晴れ着、晴れの場、という通り、非日常、特別な日。メデタイ日。結婚式とかお正月とか。要するにセレモニーだったり行事服、ということだろうか。

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ケとは?

逆にこちらは ド日常。普段の暮らし。なんてことはない、日々の雑事にもまれる日。

 

日本にはこの区別がくっきりしていた時代があったのだ。

ハレとケの間はないのか?

今の暮らしをよく考えると、自分の暮らしにハレとケは確かにあるが、その間 も沢山ある。

 

コンサートに出かけたり、
レストランで食事したり、
人んちの新居に呼ばれたりするときに。

 

晴れ着というほど格式ばった服でないにしろ、
いつもよりいい服を人は着る。

ハレとケの間 それが「日常着」

ハレとケの間。

 

そこに沢山の人生の時間と内容のバリエーションを増やすことが豊かな暮らし、豊かな人生ということになるのだと気づいた。

 

そしてハレとケの間の時間に着る服。

 

その時の服を美しいものにすることで人生ははるかに美しいものになるのではないか。そこのパーツをうかうかと普段着でごまかしていてはハレとケの間の時間はちっとも美しい時間にはらならないのかもしれない。

 

「ちょっとしたパーティ」というものは実在しない

ブティックで、服を試着しているとき、お店のカワユイ店員さんが私に良く言うセリフがある。

 

「こちら、お生地が光沢があり、ビジューも付いていて 華やかなので、
ちょっとしたパーティにもおめしになれますよ💛」

 

ちょっとしたパーティ・・・・・
私はブティックの鏡に映るわが身を見つめながら考え込んでしまう。

 

少なくとも今の私の暮らしには 「ちょっとしたパーティ」なるものはない。

 

「ちょっとしたパーティ」というのが日々これ頻繁にあり、スケジュール表の欄がそれで埋まっている人が今の日本に一体どのくらいいるというのであろうか?

 

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あら? 私 先週3回も飲み会があったわよ?って 飲み会はパーティではない。
ママ友のランチ会もパーティではない。
また合コンもパーティではない。
政治家のパーティもある意味パーティではない。(多分)

 

アメリカのTVドラマ、セックスアンドシティやゴシップガールを見ていると、
ニューヨークの市民というのは、こんなにしょっちゅうパーティが夜な夜な行われているものなのか、と驚く。
(その前に 高校生は勉強せい!勉強! と思いますよね? ゴシップガール(笑))

 

でも日本には一部の人を除いて
そんなに頻繁にはないと思うわけで。。。

 

生活に必要な服

50代の私の暮らしに一番欠けていて、かつ必要なのは、

 

ドレスや訪問着といった晴れ着ではなく、
ちょっとしたパーティに着る服でもなく、(そもそもないし!)
仕事のために仕方なく着るスーツでもなく、
家でひたすら掃除や料理をする時に着る服(要するに普段着)でもない。

 

普通だけれど 飾りはないけど
どうおおおってことないけど
上質で 肌触りが良くて 形が綺麗で 着ていて気持ちがすこぶる良くて
自分を美しく上品に見せてくれて、(注意:当社比)
何より、自分自身が自信が持てて、優しい幸せになれる服。

 

それが 圧倒的に欠けていると気づいたのだ。

 

ユニクロで買えるのは普段着?

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話がユニクロに戻る。

 

ユニクロの服は、生地や縫製は金額の割には
そんなにがっかりするほどヒドイということはない。

 

むしろ、この金額で・・・・起業努力だわ・・・柳井正様すごい(←社長)と感じるものが多い。

 

でもだからと行くたびにあれこれ買っていて、クローゼットにユニクロの服が増えていくたびに、前述の彼女は思ったという。

 

普段着ばっかりこんなに増やして、私、何してるんだろう・・・・・

 

って。

「ほんのちょっとだけ、
いい気分になれる服を着たい、
と思う時、
ユニクロはそれにはならない。
50代女には。」

そう。 そうなのだ。

 

私がなんとなくユニクロから足が遠のく理由は、

・人とかぶる
・試着室がキライ
・あの大量の服が積みあがった棚から服を選ぶのがシンドイ

とか、そういったモンだと自分ではぼんやり思っていたが、そういう理由以外にある、自分の中の気持ちを、彼女は今回、見事に明確な言葉で表現してくれたのである。

 

日常着はどこで買えばいいのだろう?

では大人の女の日常着は、どこで買えばいいのだろう?

 

今日本では
「普段着」を買うお店はたくさんある。
「仕事着」を買うお店もたくさんある。
「勝負服」を買うお店もたくさんある。

 

でも上質な、「日常着」を手に入れられるお店はなかなかない。

 

日常着であるからこそ、金額がやたら高いものは避けたいし、安かろう悪かろうでは 話にならない。

 

どうだあああ!!!  って これ見よがしなデザインの多い若い子向けのファストファッションも向かない。

 

セレクトショップや デパートブランドの膨大な服の中から必死で自分で探して1点1点、見つけている・・・・

 

そんな状況に苦しんでいる40代、50代の女性が多いのではないかと思う。

 

日常着が美しいおばあちゃんになりたい

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私はこれからの人生を考える時、「日常着が美しい60代70代になりたいゾ」、と思う時がある。

 

白いフランダースリネンのシャツにフレアスカートを履いたり、カシミア100%ニットにネイビーの細身パンツを履いたり。

 

そんな おばあちゃん。いや、そうなるとおばあちゃん、ではなく マダム、という感じになれるかも?

 

普段着でなく、日常着を着る。

 

それは 何もない 変わり映えのしない つまらない日常が、実は一番 ありがたい日なのだ・・・・

 

ということに気付いた大人の女性だけが、習得できるファッションの理想形なのかもしれない。

 

わが身を振り返り。
まだまだ 全然 初級コース、 道半ば。 女業は日々精進。

 

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